2024-02-01
88henro64作成
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文政天保年間の下総四郡八十八ヶ所3分割後、吉橋八十八ヶ所第41番札所として今日に至る。吉橋35番ゆるぎ地蔵とともに、木食観信によって枯死したゆるぎの松から作られた地蔵菩薩像「木っぱ地蔵」を祀る。境内にはその木食僧観信の墓、そしてこの地に薬草園(薬円台の由来)を設立した江戸期の本草学者である丹羽正伯の墓がある。 出典:企画展『新四國を歩く』図録 八千代市立郷土博物館 2006年
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文政天保年間の下総四郡八十八ヶ所3分割後、吉橋八十八ヶ所第41番札所として今日に至る。吉橋35番ゆるぎ地蔵とともに、木食観信によって枯死したゆるぎの松から作られた地蔵菩薩像「木っぱ地蔵」を祀る。境内にはその木食僧観信の墓、そしてこの地に薬草園(薬円台の由来)を設立した江戸期の本草学者である丹羽正伯の墓がある。
出典:企画展『新四國を歩く』図録 八千代市立郷土博物館 2006年
2024-02-01 作成