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霊場名:ラワイ大師堂

種別:霊場エリア線(八十八ヶ所関係)

2024-03-08

kondoji作成

2024-03-09 更新

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閲覧数 209

kondoji>

カウアイ島ラワイにあり、最も古く1904(明治37)年に山本弘道師によって設立された。真言宗がカウワイ島に根をおろしたのは1902(明治35)年とされており、ラワイ大師堂はカワイ島では初めて、ハワイでは2番目の真言宗寺院であった。元々は寺院建築はなく、弘法大師の肖像が敷地内の洞窟に祀られていた。
この初期の寺に関する説明は、リリアン・シュルーバリー・メシックによる1926(大正15)年の雑誌記事の中で、「崖を削り取って作られ、大石が天井代わりになったトンネルのような入口を通り抜けると小径に出る。そこではどんなに傲慢な人間でも、開けた場所に出るまでの数フィートをただかがむだけでなく、特に背が高かった場合には背中を折り曲げるようにして歩かなければならない」[)Mesick, Lilian Shrewsbury(1926): The 88 Holy Places on Hawaii's Garden Isle, Paradise of the Pacific, December 1926, 92-93/出典:パランポ湊石ローレン麗子(1998): ハワイにおける「プランテーション住居型」寺院建築の研究-ハワイの日系人社会における寺院建築の変容過程に関する研究(1)-, 日本建築学会計画系論文集, 513, 281])と述べられている。
開設については、「新四國八十八ヶ所で有名な此の大師堂が本宗最初の布教場である。此れは明治三十七年に山本弘道師が殆んど獨力で創立し之を中心として各方面に出張し大師信仰を宣傳して到る所に大師講社を組織し盛んに民衆の信仰心を高め本宗の教田を確立されたのであるが氏は性質も頑固であったが、身体も至って頑健であった。そこで教勢の進むに連れて借地を開墾し施主家を求めて新四國八十八ヶ所を開き今日に残された。」[)亀山広應(1927): 布哇における本宗開教の沿革, ハワイ真言宗別院編『創立十周年に際して』所収, 141-143])と展開されたようである。「山本師は次第に土地を開いて四国八十八箇所の札所を開かれたが、今にお堂の横の山一面に札所の祠が祭られてある。ここでは前に家がありお接待が用意されてあった。」[)中川善教(1954): 米布に使して, 高野山出版社, 216-217])とあるように、徐々に札所を増やしながら設置した。当時は大変御利益がある寺として有名であり、お接待も人気で「お接待は20日と21日とあった。21にこられんもんは20に行った。月に2度おばさんが接待をつくっていた。沖村さんのおかあさんも、『あのお接待の味はだれにも出来ない』と言っていた」(Nonaka氏)ほどであった。また、霊験があるとしてさまざまな言い伝えがあるのも特徴である[)「此の新四國八十八ヶ所に参拝して不思議を頂かれた方が段々あるそふだ、私が大正五年に始めて加哇に渡り同師の案内で各講社を巡教した際にも屡々信徒から聞かされた。」亀山広應(1927): 布哇における本宗開教の沿革, ハワイ真言宗別院編『創立十周年に際して』所収, 141-143])。とくに、砂に霊験があるとされていることは興味深い。
 本尊については、初期のものは木製で、1950年代の再建時頃より石製に変わったとされているように、木製と石製が混在している。現地作成のためなのか、本尊種類は判別しにくい。

出典:近藤隆二郎(2005): ハワイ日系人社会における写し巡礼地の成立と変遷, ランドスケープ研究, 68(5) 435-438








2004.4.6調査。



2024-03-08 作成

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上記写真の出典:パランポ湊石ローレン麗子(2000): ハワイの日系社会における仏教寺院建築の変容過程, 1999年度早稲田大学大学院理工学研究科,学位論文

2024-03-08 作成