2024-03-08
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ハワイ島ホルアロアに1925(大正14)年に武田光道師によって設立された。 「大正十四年にはホロアロアに武田光道師が発願主となって大師堂を建立し新四國八十八ヶ所を創設された。師は廣島縣安藝郡船越村の出身であるが、幼少の頃同郷の飯野山月光寺に入寺して居られたその當時深く薫書された大師信仰の念が常に師の胸奥に湧き珈琲事業の傍ら熱心に信仰を捧げ遂に大師武田として知られるに至った。こふした師は大正十三年に感ずる所があって祖國に帰り四國の霊蹟に参拝し高野山にも登り改めて長岡秀賢師の徒弟となり僧名光道となつて帰布され、先きの事業を成満し自己所有の布教場敷地等一切を本宗教團に寄附して今日に及ばれたものである。」[)亀山広應(1927): 布哇における本宗開教の沿革, ハワイ真言宗別院編『創立十周年に際して』所収, 129-130]) とあるが、1968(昭和43)年10月の集中豪雨による山津波のために再起不能となり、現在残っているものは石柱だけである。「法要の後向拝へ出て記念撮影があって、八十八箇の霊場参拝を右に見て本道へ下り、コナホテルへ帰る。」[)中川善教(1954): 米布に使して, 高野山出版社, 125-126])とあるように、境内に巡礼地が配置されていたことが推測できる。また、「ここの八十八ヶ所は、本四国の砂をもってきていたらしい。おばあさんが言っていた。武田光道師が四国へ行ってもってきたのでは。」(宮崎弘雅氏)と、本四国の砂を勧請している可能性もある。 出典:近藤隆二郎(2005): ハワイ日系人社会における写し巡礼地の成立と変遷, ランドスケープ研究, 68(5) 435-438
2024-03-08 作成
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ハワイ島ホルアロアに1925(大正14)年に武田光道師によって設立された。
「大正十四年にはホロアロアに武田光道師が発願主となって大師堂を建立し新四國八十八ヶ所を創設された。師は廣島縣安藝郡船越村の出身であるが、幼少の頃同郷の飯野山月光寺に入寺して居られたその當時深く薫書された大師信仰の念が常に師の胸奥に湧き珈琲事業の傍ら熱心に信仰を捧げ遂に大師武田として知られるに至った。こふした師は大正十三年に感ずる所があって祖國に帰り四國の霊蹟に参拝し高野山にも登り改めて長岡秀賢師の徒弟となり僧名光道となつて帰布され、先きの事業を成満し自己所有の布教場敷地等一切を本宗教團に寄附して今日に及ばれたものである。」[)亀山広應(1927): 布哇における本宗開教の沿革, ハワイ真言宗別院編『創立十周年に際して』所収, 129-130])
とあるが、1968(昭和43)年10月の集中豪雨による山津波のために再起不能となり、現在残っているものは石柱だけである。「法要の後向拝へ出て記念撮影があって、八十八箇の霊場参拝を右に見て本道へ下り、コナホテルへ帰る。」[)中川善教(1954): 米布に使して, 高野山出版社, 125-126])とあるように、境内に巡礼地が配置されていたことが推測できる。また、「ここの八十八ヶ所は、本四国の砂をもってきていたらしい。おばあさんが言っていた。武田光道師が四国へ行ってもってきたのでは。」(宮崎弘雅氏)と、本四国の砂を勧請している可能性もある。
出典:近藤隆二郎(2005): ハワイ日系人社会における写し巡礼地の成立と変遷, ランドスケープ研究, 68(5) 435-438
2024-03-08 作成