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霊場名:番条八十八ヵ所

種別:霊場エリア線(八十八ヶ所関係)

2024-06-03

kondoji作成

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kondoji>

設立年代はだいたいの推測です。

有名な稗田や若槻と同じように環濠集落である番条では[)鈴木良編著(1988):城と川のある町-大和郡山歴史散歩,文理閣,p34.])、通常は各家内にある大師像が毎年4月21日だけ家の前に厨子内に飾られ(出開帳)、一日だけの巡礼路が出現する[)明治末期までは、1月21日(初大師)、8月21日(盆大師)も出開帳の日であったという。])。徳永はその起源について「1815(文化12)年の大洪水、1822(文政5)年からのコレラの大流行等が、人々を不安に陥し入れたに違いない。また1830(文政13)年には、大和一円でお蔭参りがはやり、村々を巻き込んで世情は騒然としていた。このような幕末になって村の秩序が揺らぎ始めていた頃、各家の平等な参加による八十八カ所詣りが始まったのではないだろうか」[)鈴木良編著(1988):城と川のある町-大和郡山歴史散歩,文理閣,p39.])と述べている。設立時にちょうど88戸あったために弘法大師の利益を願って設置されたともいう。戦後などは接待としての供え物の餅を求めて隣村から巡拝者がひしめき、露店なども立ち、それは賑やかだったという。農繁期の一時の息抜きでもあり、親戚や他村へ行った家族が集まる楽しい日であったという。大師像を持ったまま村境を越えようとすると荷車・牛車が動かなくなるといった伝説があり、88体の大師像が今でも村内に保存されている。村から転出したり死去して大師像を引き取る場合がないときには阿弥陀院が預かることになっている。また、転入したり分家したりといった新世帯が起こると、寺から大師の引き取りを打診するという。ほとんどが真言宗だが、他宗でも引き受けている場合もある。

出典:近藤隆二郎・日下正基(1996): 番条八十八ヶ所のイエ結合にみるコミュニティの結合効果,ランドスケープ研究 59(5), 117­-120.

2024-06-03 作成

kondoji>









1994.0421撮影

2024-06-03 作成